このシリーズは享和3年の作で十図からなっています。箱枕に頭をつけて寝転びながら美人が読むのは「繪本太閤記 七篇巻三」。
これは安政9年から享和3年にかけて大阪で出版されたもの。石田玉山が挿絵をし、12冊を一篇として七篇になりました。その人気は江戸にまで広がり、この太閤記を題材にした絵は多くの絵師に描かれ、その中には歌麿の有名な三枚続「太閤五妻洛東遊観図」があります。「理口者」は、本来は利口者と書くところですが、これは女性の理屈っぽさを嫌っての当て字とみます。
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美人が読んでいる草子は「繪本太閤記 七篇巻三」。安政九年から享和三年にかけて大阪で出版されたものです。
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箱枕が高いのは髪型を崩さないためといわれています。
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本来、「利口」と書くべきですが、女性の理屈っぽさを嫌っての当て字と言われています。
商品サイズのご案内
弊社の中判の作品は約32.5〜34cm×22〜24cmの越前奉書(和紙)(一部商品を除く)に
摺られております。
専用額の大きさは横44cm×縦37cmとなっております。
サイズについての詳細は
こちらをご覧ください。
制作動画のご紹介
浮世絵木版画「金沢文庫」がおくる、彫りと摺りの世界を動画でご紹介しています。
左のサムネイルをクリックすると動画が表示されます、是非ご覧ください。
専用額のご案内
浮世版画にぴったりな専用額をご用意しました。
シックな漆塗風の木製枠は淡い色合いの浮世絵を引き立て、
和洋問わずお部屋に彩りを与えてくれます。
アクリル仕様は紫外線から大切な作品を守ります。
アクリル仕様は耐久性があり、割れにくく、紫外線から作品を守るUVカット効果を施しております。
輸送に長時間かかる海外への発送などにも最適です。御用途によってお選びくださいませ。
お届け後すぐに飾れます。
額装を施すことによって、お届け後お気に入りの場所にすぐに飾っていただけます。
心を込めたプレゼントを贈られた方も開封後すぐに飾ってお楽しみ頂けます。
喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)
宝暦3年(1753)〜文化3年(1806))
狩野派の町絵師・鳥山石燕に絵を学んだのち、版元・蔦屋重三郎に才能を見出され、精力的に錦絵や狂歌絵本などを手がけるようになりました。1791年頃から美人画に大首絵を取り入れ、さらに評判の茶屋娘らをモデルとした作品で人気を博し、浮世絵美人画の第一人者への道をのぼりつめていきます。評判の美人をひと目見ようと、彼女たちの働く店に多くの人が集まるほど、歌麿の描く美人画は世の中に影響を与えていました。その後、寛政の改革の一環により多くの表現の制約が課せられましたが、屈することのない歌麿は浮世絵の黄金期を支える存在となりました。1804年、当時禁止されていた豊臣秀吉の絵画化で罰せられ、その二年後に没しました。
歌麿名作拾遺集 喜多川歌麿
歌麿の代表作「高名美人六家撰」の作品をも含む「歌麿名作拾遺集」です。歌麿は多種多様な作品を残しましたが、言うなればその肩書きは女絵師、あるいは美人画家といわれます。度々の弾圧や制約にもめげず、果敢に彼の信じるところの女絵を描き続けました。女性を正面から見つめ、生身の生活ぶり、肉体、心を描く、その洞察力は鋭いものがありました。歌麿の全作品のうち約三分の一は、吉原と遊女を画題としていますが、町家の母子の情愛や評判の茶屋娘らを描くなどの画域を広めています。浮世絵美人画の巨峰の上に立つ歌麿の30作品です。