この絵は写楽の代表的傑作で、寛政六年五月の河原崎座上演「恋女房染分手綱」に登場する役を描いた作品です。ここに描かれた蝦蔵の顔は、実に印象的で吊上がった眉の下の眼は生きているかのよう。引き歪められた口もとからは、今にも声がもれてきそうです。顔面の屈線はえぐったように鋭く、物すさまじいまでに当時役者の王者であった蝦蔵の偉大な芸格、風貌を描いています。被写物の真をとらえないではいられない、写楽の芸術の究極の意欲がここに結晶された思いがします。
市川蝦蔵は、五代目市川団十郎が、寛政三年に改名した名前でした。四代目団十郎の実子で、三世松本幸四郎から明和七年十一月に五世を襲名しました。ある評判記に「この上はよき薬を以て、もちっと太りを付けたいもの」とありますが、その評語にあてはまる風貌を写楽は如実に描ききっています。天明、寛政時代の江戸歌舞伎界の大御所であり、その芸風は、大場にして、唯一筋に狂言の道を立てることを主としたといい、文章にも長じ、反古庵といって俳句を花道のつらねと称して狂歌をたしなんでいました。寛政八年には向島に隠退して成田屋七左衛門と改名しましたが、その後四回、求められて舞台に立ったそうです。文化三年十月、六十六歳で没しました。
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写楽の作品の中でももっとも有名な表情の一つ。
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シンプルだけど映える鮮やかな配色に写楽のセンスを感じます。
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役者市川鰕蔵を表す家紋は「三桝」です。
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東洲斎写楽を見出したのは,元祖出版プロデューサー蔦屋重三郎でした。
商品サイズのご案内
弊社の中判の作品は約32.5〜34cm×22〜24cmの越前奉書(和紙)(一部商品を除く)に
摺られております。
専用額の大きさは横44cm×縦37cmとなっております。
サイズについての詳細は
こちらをご覧ください。
制作動画のご紹介
浮世絵木版画「金沢文庫」がおくる、彫りと摺りの世界を動画でご紹介しています。
左のサムネイルをクリックすると動画が表示されます、是非ご覧ください。
専用額のご案内
浮世版画にぴったりな専用額をご用意しました。
シックな漆塗風の木製枠は淡い色合いの浮世絵を引き立て、
和洋問わずお部屋に彩りを与えてくれます。
アクリル仕様は紫外線から大切な作品を守ります。
アクリル仕様は耐久性があり、割れにくく、紫外線から作品を守るUVカット効果を施しております。
輸送に長時間かかる海外への発送などにも最適です。御用途によってお選びくださいませ。
お届け後すぐに飾れます。
額装を施すことによって、お届け後お気に入りの場所にすぐに飾っていただけます。
心を込めたプレゼントを贈られた方も開封後すぐに飾ってお楽しみ頂けます。
東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)
生没年不詳
寛政6年(1794)、浮世絵界に彗星のように登場し、わずか10ヶ月の作家活動の間に140数点もの浮世絵を世に送り出すと忽然と姿を消しました。写楽は大判のしかも背景を高価な黒雲母摺という尋常ならぬデビューを果たしました。版元の蔦屋重三郎は、歌麿が重三郎の専属を離れたのちに大々的に写楽を売り出しましたが、次第に大判が少なくなっていきます。その理由として、写楽の人気役者であろうと美化せずに、ありのままを描きとる筆致は、役者ファンをはじめ当時の人々の好みに合わなかったからなのかもしれません。しかし、どれも躍動感にあふれた役者絵は見る者に強烈なインパクトを与え、海外でも高い評価を得ています
東洲斎写楽選 東洲斎写楽
写楽の作品が重んじられる理由のひとつに、その遺品が少ないということにあります。また残念ながら写楽の芸術を理解し、認識したのは日本ではなく海外が先でした。日本人が彼の作品を認めない間に、多くの作品は海外に流れ、その芸術が絶賛されたのです。昭和18年、海外から持ち帰った松方コレクションが博物館に入り、その数も増した程度であり、こうした限られた少数の作品を復刻したのがこの40作品で、いずれも写楽の大傑作です。